コンシェルジュ詳細プロフィール
MY PROFILE - CAREER OF PAIN AND GRIEF

三井 葉月(みつい はづき)

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仮面家族

幼少の頃から私の家庭は『幸せ』だと感じられませんでした。

両親は二人とも研究・教育関連の専門職に携わっていました。
そのためご近所や同級生からはセレブな「お嬢様」のように思われていたかもしれません。

両親の高いステータスや周囲からの評判とは異なり、実際は「仮面の家族」でした。

父はとても短気で、家庭内で自分の気に入らないことが少しでもあると、容赦なく切り捨てるタイプで、昔の「家父長制」を絵に描いたような父でした。


口ではいくら進歩的な考えを言っていても、その言動は、親には従うべき、勉強はできて当たり前、できないと責められ、できても褒めてもらった記憶がありません。

母はそうした父の方針に抵抗を感じつつも、見て見ぬ振りをするだけでした。
何があっても「仕方ない」「諦めろ」と、子供の気持ちは無視していました。

また、私には妹が一人いますが、心身症や摂食障害を抱えてていて、人とのコミュニケーションが難しく、学校でも相談事が絶えないため、両親も常に妹を気にかけていました。

私自身も一人で絵を描いたり、想像好きな内向的タイプでしたので、両親に素直に甘えたり、気難しい妹とも素直に関われた記憶がほぼありません。

家族でありながら、両親にも妹にも言葉や意思が通じない、心が蝕まれる環境下で、私は自己肯定感が異様に低く育ち、常にうつ状態でした。

幸せな家庭を夢見て

更に妹が成長し、思春期に入ると、父と妹は、度々家庭内暴力を起こすようになりました。
母はそれを見て見ぬふりをして仕事に逃げ込み、毎晩遅くまで帰ってきません。 

この家や家族は私にとって安全な場所ではなく、高校生の頃から「早く家を出たい」とずっとそう思っていましたし、「幸せな自分の場所が欲しい」といつも考えていました。

やがて社会人になり、結婚後すぐに子供が授かり、私は幸せの絶頂でした。


日に日にお腹が大きくなり、日々重くなるお腹かを毎日愛おしく撫で、ずっと想い続けていた「幸せな自分の家族」という将来を思い描く毎日でした。

出産まであと2ヶ月後に迫った定期検診の日、私の時間は止まりました。

妊娠23週、赤ちゃんは私のお腹の中で、もう生きてはいませんでした。


お医者さんの言葉も理解できませんでした。

心理的な状態では、妊娠喪失を経験した人は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、抑鬱、不安、睡眠障害に陥りやすく、強い悲しみが長引く人もいる「複雑性悲嘆」を伴うと言われています。

この時メンタル診療は行いませんでしたが、それから日常生活が送れなくなりました。重くて暗い海の底を漂う感覚が、ずっと、ずっと長く続いていました。

死産

赤ちゃんがお腹の中で亡くなったと分かったら、次に待っているのは出産。

幸せの絶頂から、一気に奈落の底に落とされた感じがしました。

出産は、生きている中で最大の痛み、と言われてます。


想像できるでしょうか。

赤ちゃんがもう生きていないという悲しみと絶望で心が弱りきっているところに、人生最大の体の痛みがやって来るのです。

陣痛促進剤を入れての出産が始まりました。

促進剤を入れると、自然な陣痛と違い、強烈な痛い時間痛い時間が連続して起こります。

夫は立ち会っていましたが、泣き叫ぶ私の傍で、夫もショック状態で固まっていました。

夫が側にいるというのに、私は一人で耐え難い痛みと苦しみに耐えなければいけませんでした。
どんな罰なんだろう、と思いました。

やっと生まれた赤ちゃんも産声を上げることのない、36時間という長い、悲しいお産でした。

あの時、看護師さんは産まれた赤ちゃんを見せてくれましたが、触らせてくれませんでした。
混乱していた私は、赤ちゃんを抱きたいという自分の望みを伝えることもできない状態でした。

悲しみを長く引きずってしまった原因には、例え亡くなっていてもこの手に抱き、生まれた赤ちゃんにきちんとお別れできなかった。
その後悔があったからのように思います。


それから徐々に日常に戻るものの、子供を連れたお母さんを見ると、苦しくなりました。
友人や知人が投稿している子供の画像は一切見られなくなり、SNSは全て止めました。

義母は、私が何かやったんじゃないかと産前の私の行動を聞き出そうとしました。
原因探しされ、責められているように感じました。

「あなたが悲しんでいる顔は、こちらも悲しくなるから見たくない。笑って!」と言う言葉も、私が子供のことを想う自由を、止めようとしているように感じました。

義父は「生まれる前でよかった」と言いました。
廻りの人にとっては、まだ見ぬ存在だったかも知れません。
しかし、確かに私のお腹の中で動いていた赤ちゃんの存在を無視するように話すことに違和感を感じて、恨みのような気持ちが起きました。

親戚は「今は辛いけど、時間が経てば楽になるから・・・」と言いました。
私には「忘れろ!無かったことになるから」と言っているように聞こえました。

あの時は、そんな言葉をかけられる度に、私の赤ちゃんの存在と、私の気持ちや、あの経験を意味のないことにされているようで、「皆、好き勝手な事ばかり言って」と感じ、殺してやりたいような気持ちさえ湧きました。

 

私は「誰にもわかってもらえない」と感じていました。

皆、自分のことばかりで聴いてさえくれない。

 

そう感じたことが余計に私の悲しみを助長していたように思います。

寄り添う心の大切さ

この経験から、自分の心を労わるため、さまざまなコミュニケーションや心の学びをするようになり、沢山わかったことがありました。

傷ついている時、弱っている時、必要なのは、同目線でただ話を聞いてもらうことです。

どんなに弱音を吐いても、その気持ちを否定せず、嫌がらずに、そのままの気持ちを受け止めてもらうことがとても大切です。 

かわいそうだとかダメな人扱いをせずに、きっと自らの力で起き上がってくれると信じて、寄り添てもらえる人が一人でもいたら、人は大丈夫なのだと思います。

共有経験・感情 (高共感性ヒアリング項目)

8歳  身体の弱い妹の方に両親の注目が向き、放任される
18歳 父と妹の家庭内暴力が激化
21歳 家を出て一人暮らしへ
27歳 父がアルツハイマーを発症
30歳 父の他界
32歳 日本を出て、好きだった国へ移住
34歳 結婚
35歳 妊娠8ヶ月で死産 全ての友人との連絡を絶ち人間不信に 4ヶ月間泣いて過ごす 
38歳 日本では認定されていない不育症が発覚、治療し長女出産
40歳 長男出産

メッセージ

私にとって人生の幸せのピークから、一気に奈落に落ちた喪失体験と、その後の人間不信で苦しんだあの辛さは、当時は耐え難いものでした。
それも今、その経験によって、同じような痛みを持つ方の、心によりそうお手伝いができればと思っています。 

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<本項目について>

※ 各コンシェルジュが今までの人生・生活で経験し、克服してきた特筆ある出来事です。

※ セッションご利用者様への「心によりそう」ことを基本にしたヒアリングご対応につきまして、同じ境遇、苦悩、心痛、悲哀、憤慨、追憶、などの感情を共有できる証として、情報公開いたします。

※ 記載事項には偽りはありません。全て事実内容を確認の上で掲載しています。

※ 掲載事項と同じ境遇・ご経験をされた方のお気持ちには、十分に寄り添い、お心を共有いたしますが、共有経験・感情に基づきセッション開催されたユーザー様の問題解決を保証するものではありません。

※ 本コンテンツの公開方針につき、「不幸自慢」「自己憐憫の切り売り」などの批判は甘んじて受付いたします。掲載内容のご質問はこちらまでお願いいたします。

※ 各コンシェルジュ個別の非難中傷はご遠慮下さい。